「落書きしようどこまでも2015」
2015年4月12日日曜日 10:30-12:00 13:10-14:00
茨城県常総市水海道宝町3375-1
参加費無料 汚れてもいい格好でお願いします。
蛍光チョークで道路におもいっきり落書きできるイベントです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

過去のワークショップによるパンフレット寄稿のための文章です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

落書きしよう!どこまでも-千姫様のとおりみち-

2012年4月15日㊐10:00~13:00
開催場所:茨城県常総市宝町商店街宝町会館付近
講師:康舜香
主催:常総市 常総市まちなか展覧会 協力:常総アート

対象年齢:2歳~大人まで
持ち物:汚れてもよい服装・猛暑の折は水分など
用意した物:チョーク(色つき・蛍光色など)、色つきの粉(自然素材のもの)

ワークショップ紹介文

いつから道路にらくがきすると怒られるようになったのでしょう?道路に大きな絵をチョークでめいっぱ­い自由に描きましょう。自分より大きな絵、描いたことありますか?

オーストリア、ホーエン・ザルツブルグ城の広場を訪れたときに、私は大人たちが等身大のチェスでゲームに興じている広場で、とてつもなく大きな絵を描いている5、6人の子どもたちの姿を目にした。色とりどりのチョークを手に持ち、等身大以上の宇宙船や怪獣を描き、その絵の上で物語を展開し、彼らの頭の中がそのまま広場に表現されているようだった。彼らは、誰一人として大人からの指示も受けず、怒られもせず、自由に彼らの世界を広場に展開していた。その絵はみるみる内に大きくなり、最終的には30m以上の巨大絵に発展していた。高台にある城の双眼鏡でしか全貌を確認できないほどに。
ふと日本の子どもたちを憂う。画用紙の中に小さくおさまった絵。道や壁に描いていると、チョークですら怒られる。もちろん危ないから、という理由はわかる。がしかし、いつから道に絵を描くと怒られるようになってしまったのか?ウィーンで見かけた小さな画家たちのように、日本の子どもたちにもいつか自由に描かせてみたいという思いが「落書きしよう!どこまでも」で形にできたことは非常に光栄であった。
2011年9月、第一弾の「落書きしよう!どこまでも」が、常総市の建設中道路で開催された。会場を決める大きなポイントとなったのが、落書きできる場所であることはもちろんだが「その絵を遠くから眺めることができること」という条件であった。ただ落書きするだけでなく、小さな手元しか見えない世界を広げるために「遠くから自分の絵をさらに見る」という行為は必要不可欠であると私は考えた。建設中の道路は広く、さらに工事中によけてできた土が高台のようになっていて、そこから自分たちの描いた絵を眺めることのできる素晴らしいロケーションだった。実際に描いている最中に何度も高台にあがることで自分たちの絵が小さく全然見えてこないことに気づき、絵はダイナミックかつ色彩豊かになっていった。やはり「遠くから眺める」という行為は、自分がどこに立っているか、世界の大きさと自分を比較して確認するような、そんな気づきを与えるきっかけになるのだ。
今回の、第二弾である「落書きしよう!どこまでも」ー千姫様のとおりみちーでは、その場に生まれるライブ感の中でいかに自分の描きたいものを表現できるか、という点に留意した。水海道市の年中行事である千姫祭りで、パレードが通る商店街の道に自由に描ける、という滅多にないシチュエーションはハレの日の特別な雰囲気も手伝って、人も道路もにぎわった。時間は限定せず都度道行く人々に声をかけ、チョークを手に取り、子どもたちと大人たちとで「千姫様への贈り物」をテーマに描いていった。
ワークショップの初めには「自分より大きな絵を描くこと」「他人の絵を傷つけないこと」を子どもたちと約束する。チョークは、普段から慣れ親しんでいる色のチョークだけでなく、蛍光色や発色の良いチョーク、自然素材の色つき粉をふんだんに用意した。落書き自体滅多にできない行為であるのに、珍しい色のチョークは、子どもたちの手を動かすきっかけになるに違いないとふんでのことだった。結果嬉々として色を使い絵を仕上げる様は圧巻であった。
手の動かない子どもにはとりあえず自分より長い線を描いてもらい、それは大きな丸になり、絵になり、道をうめる。最終的にみんなの絵はどんどん増殖し、描く場所のない状態までとなった。第一弾を経験している子は、第二弾でもずいぶんのびのびと描くようになり、大きさをみる単位が彼ら、彼女らの中で確実に変わっていっているのを実感した。近所の方々からも、久々に子どもが楽しく絵を描いている様子をみた、というお言葉をいただいた。アスファルトで塗り固められた味気ない道は人の痕跡を残した花道に変わり、千姫様のパレードを彩った。

ただの落書き、といえばそこまでなのだが、ただ落書きするという行為で片づけてはいけないと思う。そこに子どもたちに気づきを与えてあげる指導者ないし周りの助力がない限り、ただの落書きで終わってしまう。彼らの無限の想像力を私たちは日常生活やいわゆる「社会の常識」という形式で押し込めてしまっているかもしれないという前提のもと、いかに「落書き」という雨がふったら消えてなくなってしまうようなその一瞬のライブの中で、再び彼らのタガを外してあげることが大切なのではないか。
絵を描くことは、画家になるためでも、手先が器用になるためでも、右脳を開発するためでもない。自ら、リアルな何か、描くための媒体を手に取り、自ら選んだ線を目の前の物質に残す、「自らがすべてを決定し、残していく行為」だと。誰かの残したものを見て、やった気になることは簡単だ。
このような原始的なワークショップが、幼き彼ら、そしてもう充分に育ってしまった私たちの中で、自分で考え、修正し、取捨選択していける自立の一歩になることを願ってやまない。

康舜香

SOONHYANG KANG ALL RIGHTS RESERVED